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エレファントピア

エレファントピア

カンボジア旅行記


アンコール・ワット1日目

午前10時。
シェリムアップ空港に到着。
小雨。暑くはない。
ホテルから車の迎えが来ている。
車はものすごくゆっくり走り、ホテル着。雨は止んでいる。

午前11時。
空港に来てくれたドライバーのブンさんに押し切られ、彼を雇う。
なんだか微妙な幸先である。
パスポイントにて3日券を購入。US$40。シンガポール金銭感覚からいうとベラボーに高い。写真を持ってきたのに忘れてきたので(?)ここで撮ってもらう。にやけた顔写真入りの3DayPassが出来上がり。ああ、日本人が多い。里帰りしたような気分だ..

午後12時。
アンコール・ワットが見えてきた!
外堀に満々と水。道の脇では排水溝(?)の工事中。女性がレンガを運んだりしている。緑が雨に濡れて美しい。本当に森に囲まれた遺跡なんだなあ。

なし崩し的にブンさんの連れて行ってくれたレストランで昼食。

外には物売りの子供たちが待ち構えていて、スカーフやら腕輪やら笛やらを売ろうとする。小さく見えるけれど、7~10歳くらいか?
英語をしゃべる子もいるし、日本語で話し掛けてくる子もいる。
アグレッシブ度は中くらい。引き際もいい。
「戻ってきたら、私から買ってね!」と言って去っていく。
この捨て…帰り台詞を最初に考えた人は頭がいいなあ。


午後12時。

とうとうアンコール・ワットへ!

外堀を突き抜ける橋を通って入り口をくぐる。

アンコールワット全景2004/8


12世紀にスールヤヴァルマン2世によって建てられたヒンドゥー教の墳墓寺院。
お金もかけているんだろうけれど、仏教寺院が後にヒンドゥー教徒の破壊に遭ってボロボロなのに比べると、すごぶる保存状態がいい。何百年も忘れ去られていたとは、とても思えない荘厳さだ。


レリーフで有名な第一回廊へ入る。

西の「ラーマーヤナ」「マハーバーラタ」、南の「スールヤヴァルマン二世軍隊の行進」「天国と地獄」、東の「乳海攪拌」をゆっくりと見て廻る。
「天国と地獄」。地獄ばかりじっくり見てしまった..日本でいうところの「地獄絵図」と同じ。焼かれたり、串刺しされたり、針山があったり、トラに食われたりしてる。

レリーフは一画ずつ、全部絵が違う。歩きながら、物語が進行していくのが分かる。映画のフィルムのリールを見るような感覚か。
昔は背景は赤く、浮き彫り部分は黒かった(と、隣のガイドさんが言っていたのを小耳に挟んだ)。

レリーフもすばらしいが、均等な支柱に支えられた回廊そのものがまた美しい。


8分の7周したところで、北側から第二回廊に入る。


さらに中に入り、中央塔に登る。
ものすごい登り難い。
着いたら子供とかお年よりもいて、びっくりした。
だって階段だけど、「段」がないんだよ!?


デバダー2004/8

第3回廊には、美しい女神(デバダー)の像がたくさん。
眺めもいい。


後世に持ち込まれたという仏像の周りには、カンボジア人や中国系の観光客達がお線香を捧げていた。

この仏像の周り、支柱に施されているレリーフが上から削られて、なんと中国人の顔になっていた。漢字で何か書いてもあった。
デバダー像は残っていた。まさかスケベ心から残したわけでわ…。
デバダーやアプサラ(踊り子)の像の胸のところだけ、やけにてかてかしてるなあ..と思ったら、それは人の手油らしい。どいつもこいつも..。


登るのも大変だったが、降りるのはもっと大変だった。
この辺から、遺跡巡り改めロック・クライミングな旅の始りだった。


再び第一回廊。
「アムリタを巡る神々と阿修羅の戦い」を見て、西端から帰途へ。

西側にはお土産屋さんがいっぱい。
途中、僧院のトイレに寄ろうとするも、子供が前に陣取っていて、「1000リエルだよ!」と言うので「じゃあ、ここでするよ!」とケンカを始めるわけにもいかず諦める。1,000リエルとは25セント(US)のことなのだが、その時はまだ小銭を持っていなかった。
なんて非人間的な仕打ちを!


午後4時。
ブンさんの元へ戻る。
トイレのために入ったカフェがすてきだったので、ここで一服。
フランス人のオーナーがタイ人の奥さんとやっているという、おしゃれなカフェレストラン&雑貨屋さんで、ヨーロピアン観光客の憩いの場と化していた。

思うにここは地元ドライバーやガイドにコミッションを払っていないらしく、皆ここには観光客を連れてきたがらない傾向にあるようだ。(「このレストランはもうない」とさえ言われた)でも盛況だったけど。


午後5時。
プノン・バコン(プノン丘)に行く。
「はい、ここです。」と降ろされたところは…土砂崩れの麓?
土砂にまみれた斜面を15分くらい登る。
ミュールとかはいてる人いるんですけど..どーすんの?

登らない人は象に運んでもらえるらしいが、それも楽しそうだが14ドルもするのでもちろん歩く。

ぜえぜえ息を切らして頂上に。さらに寺院の塔まで段なき階段を上る。頂上にたどり着いた私は、西側に陣取ったままゾンビのごとく動かなかった。


日没は6時半。
それまで1時間弱じっと夕日を待った。
今は雨期ということもあって、夕日の見れる確立は5部5部だったが、今日はいけるかもしれない。

が、しかし。
ここは夕日というより人ごみを見に来たと言った方が正しいくらい人人人人人人…(∞)

9世紀末に建てられ、今も崩壊し放題のこの寺院。
いつか人の重みで崩れ去るのではないかと心配になった。

でもおもしろかったな~
歌を謳って舞ってるカンボジア人家族とか、
ナンパしてるヨーロッパ人とか、
カメラチェックに余念のない日本人とか、
団体で笑えるポーズの写真とりまくりの韓国人学生とか、
ヒューマン・ウォッチングには事欠かなかった。


プノンバケン人ごみ2004/8

天気のいい時には、300~400人くらいの人がいるんじゃないかなあ?

そしてこれが、お目当ての夕日。
遠くに雨期にはその面積が3倍にもなるというトンレサップ湖が見える。

プノンバコン夕日2004/8


そしてこの写真を最後にバッテリーが切。
なんてよわっちいんだCanon!!


午後7時。
観光客に有名どころのバイヨンIIというレストランに行く。
お味はまあまあだが、ブッフェしかないというやる気のなさ。

伝統的なアプサラダンスや農民の踊りを見せてくれる。
ココナツ踊りや漁民の踊りは楽しかった。
ポルポト時代にほとんどの先生たちが虐殺されて、絶滅の危機に瀕したカンボジア文化も、こうしてすこしずつ復興しているのか。
シェリム・アップには文化芸能学校もあるらしい。


午後9時。
ホテル着。
日頃の運動不足がたたっている…
ここは山登りのつもりで来るところだったのだな。

おお、NHKがある。


アンコール・ワット二日目

二日目はトゥクトゥクで近場を廻ることにした。
さらにせっかくだからとガイドさんも雇うことにした。

と・こ・ろ・が






1.南門

2.アンコール・トム

3.バイヨン

バイヨン全景2004/8

バイヨン全景


バイヨン顔2004/8

バイヨン顔


バイヨン紛れ込み2004/8

バイヨン紛れ込み


4.プリア・パリライ

プリア・パリライ2004/8

プリア・パリライ



ライ王のテラス

三島由紀夫の小説で有名になった遺跡。
でもなんということか私はその小説(戯曲?)を知らない~
ライ王のライは、ライ病のライ。指と足が欠けているところから。当時はこの気候のせいでライ病が蔓延していたそう。そう聞くと怖いなあ。


王宮へ

王宮2004/8

中の建物は木造だったらしく、跡形もない。
写真の門と、沐浴上が残っている。


ピニアナカス
なぜかここの記憶も写真もない。でも記録は残っているから行ったんであろう。


バプーオン
現在フランスの援助によって修復中。
すごい数の石を一個一個積みなおしていく。
どこにどの石柱があったかなんて、どうやったら分かるのか…
果てしない作業である。でも来年終るらしい。

バプーオン2004/8

(空中参道の奥がバプーオン)


象のテラス
ここもなぜか記憶があやふやである。(やる気あんのか)
なぜかって日頃の運動不足に鞭打って、朝から歩いて登って下って歩いて、か~な~り疲れていた。
象のテラスから屋台まで歩くのに、よくもこんなでかいテラスを作ったな..ジャヤヴァルマン7世…と思った。


めし



プリア・カン
「聖なる剣」の名を持つ寺院。
ジャヤヴァルマン7世さんのお父さんの菩提寺。
ここは結構気に入った。
その後行った、タ・プノーム(お母さんの菩提寺)の方が有名だけど、ここでも自然の脅威(木の侵食)が目の当たりにできる。

プリアカン2

石の上に種が落ちて、こうして育ってしまうらしい。
これで樹齢200年くらい。
「どうしてこの木は石の上を好むんだと思う?」
とガイドさんに聞かれて、「知らない」と答えると、
「僕も知らない。」と言われた。やる気あんのか..


プリアカン2004/8

すてきな感じのライブラリー。


トマノン

トマノン2004/8

ここを見学している時に、ガイドさんの携帯が鳴った。
相手はガイドさんのOne of 彼女s。
昨日彼が他の彼女と歩いているのを見た。その後、夜中中電話したのに繋がらなかったじゃない!何してたのよ!
という電話。
今夜7時に会うのよ。遅れたら殺す!
と言われたらしい。

今朝一から、こなれたブリティッシュ・イングリッシュ アクセントで我々を仰け反らせてくれたガイドのチャチャだが、ここへ来て最早心はこれっぽっちもガイドにはなくなってしまったのだった。


チャウサイデボーダ


タ・ケウ
「不吉な寺院」の異名を持つ。
作りかけのごつごつした石組みに、威圧感があって異様。

タケウ2004/8

左端に背中に焦燥感の漂うチャチャが写ってしまった。
お前、ちょっと遠慮しろよ。


タ・プノーム
やってきました、超有名どころ。
ジャヤちゃんのお母さんの菩提寺。
閑静で神秘的な雰囲気が日本人に人気らしいが、どこを見ても観光客だらけで閑静とはまた程遠い。

タプノーム2004/8

光は飛んでるし、いらんものが写ってるし、写真としては無茶苦茶非道いんですが、なんか幹の力強さがすごいので。


タプノーム2 2004/8


この写真を撮った直後から、急に土の匂いがしだしたな~と思ってたら、来ました。もうザンザン。

シンガから傘とレインコートを3着も持っていったにも関わらず、なぜかここには手ぶらで来てしまった私たち。(この間夫婦喧嘩炸裂)見事に足止め、40分くらいかな?

おまけにチャチャときたら、
「ここに夜までいるわけに行かないだろう?さあ、走るんだ!」
と、ザーザー降りの中に追い立てようとする。
お前なあ…。やれとは言わないが、他のガイドさんとかは雨の中を傘を取りに行ったりしてたぞ?やっぱりあんた彼女に殺されておしまい。
という感じで3人3様煮詰まっていた。

そこに!現れました救いの神が!
それはタ・プノームにいついて観光客からなんらかのおこぼれをもらうことを生業(?)としているおし(放送禁止用語?)の若者。
彼が傘を持って(差さないで)「これいるか?これいるか?」としきりにジェスチャーしている。いる!!

ということで、ようやく石の回廊での雨宿りから解放された。


濡れて寒くなったので、カバーされたトゥクトゥクに乗って一路ホテルへ。
途中で雨も止んだ。
ああ、雨期のカンボジアだ。

ホテルに着くとチャチャは、挨拶もそこそこに飛ぶように去って行った。
26歳独身男性のロンドンなまりなガイドには要注意だ。(自称プレイボーイ)(自称するなよ)


二日目はちょっとこじんまりしたタイレストランで夕食。
まあまあだった。

駆け足二日目の観光。
疲れた~~




カンボジア アンコールワットの旅 三日目


三日目の午前は雨に降られっぱなし。
前日の教訓を糧に、車を足にし、傘を2本持ち、カッパを3枚持っていった。(人間は2人なのに、意味不明..)

午前中は、シャムリップから車で20-30分程度の郊外にある、
ロリュオス遺跡群へ。
(しかしここの観光用自動車は皆持続40キロくらいで走っているので、普通に走れば極近だったはず)

カンボジア水田

これは車から見たただの田んぼ。

私には遺跡よりこっちの方が美しく思えた。
日本にはまだ田んぼがいっぱいあるが、
世界に田んぼの美しさを見られるようなところは以外と少ないと思う。

田んぼこそ私の心の原点。

(続くはず)






カンボジアの旅に思ったこと


1.国土に思ったこと

カンボジアはその9割がクメール人で、その8割が農業に従事している農業国だと聞いた。
アンコール・ワットのあるシェリムアップからプノンペンへの空路、飛行機から眺める景色は水水水。。雨期にはその面積が3倍になるという広大なトンレサップ湖から、プノンペンにまで流れるトンレサップ河は、正に満々と水を湛えていた。どころか、ところどころ溢れて漏れていた。

豊かな水と森林を持つ国なのだなあと思った。

自然が豊かなことイコール人間にとっての国土が豊かなことにはならないが、でもやっぱり水が確保されているなら、ポテンシャルとして強いよなあ。と思った。


2.遺跡に思ったこと

アンコール・ワットはよくミャンマーのバガンと比べられる。
しかし観光客として「遺跡」を見るつもりなら、私はアンコール・ワットをおすすめする。

まず第一に、補修・保全のお金のかけ方が違う。世界遺産に登録された威光もあるが、日本やらフランスやらのプロが入って遺跡を「遺跡」として復活させている。

第二に「遺跡」として完成されている。
8世紀から11世紀に建造された寺院が、13世紀以降、何百年も忘れ去られてジャングルに眠っていたのがアンコール・ワットだ(と聞いた)。さらに仏教寺院は建造後にヒンドゥー教徒の破壊に遭っている。
人為的にな破壊後には歴史の重みを、木々による崩壊には自然の脅威を感じる。崩れていく様子にこそ遺跡としての美しさがあるように思う。


ところが翻ってバガンである。

第一に、お金が可哀相なくらい全然ない。
政治家やお金持ちはもとより、一般の人たちがお金を寄付しあって、補修や保全をしている。
しかしてその補修技術。きっと歴史的価値とかあるんであろう11世紀の仏像を真っ白に塗りたくり、パゴダ(仏塔)も真金色にする。一部ミャンマーの文化人を嘆かせている所行である。もしも「遺跡」を見に行くつもりなら、キンキンキラキラに甦った仏陀に仰け反る事請け合い…かもしれない。

第二に、バガンは遺跡ではあるが、生きている。
その昔この地が王都であった頃から連綿と、バガンはビルマ人の心の故郷、信仰の対象地であり続けた。
だから、仏陀を真っ白の金ぴかに塗るのも、彼らにしてみれは「古くなったから、新しくお化粧しなおそう」という自然な心なのかもしれない。「遺跡」としては今一(?)かもしれないが、熱心に祈るビルマの人々こそが、この国の文化を現しているのかもしれない。


3.旅行として

アンコール・ワットで、もう一つおすすめポイントなのが、遺跡の多くに登れること。ただし階段の「段」がないこともしばしばだが。バガンでは、私がいた当時は登れるパゴダは限られていた。

それからさすが国を挙げての観光地だけあって、交通手段を雇うのにもガイドを雇うのにもシステマチック。日本語を話せる人も多い。


だが全て米ドル払い。これはシンガポールからの観光客としては痛かった。まずビザで20ドル、3日間遺跡パスで40ドル、空港税が25ドル。と、日本にも引けを取らない高価格。

これまでアジアを旅したときはちょっとした「お得感覚」があったのだが、今回は高い国に行ってしまった..と思った。それは最早私が戻れぬ程にシンガ化してしまったからなのか..。そんな気がする。あうぅ。


4.人びと

今回は短い旅程で、ほとんど地元の人たちの生活に触れたり感じたりする機会がなかった。
あったとすれば、商売の押しは強いんだけど今一上手じゃない運転手さんとか、なぜかロンドン英語を話すプレイボーイのガイドさんとか、物売りの子供たちくらいか。
それから少しお坊さんとも話した。こちらには尼さんがあんまりいなかったな。


心残りといえば、カンボジアの人たち観察があまりできなかったこと。
トンレサップ湖に行けなかったこと。
それからかの有名なバンティアイ・スレイに行かなかったこと。

だからまた行くかもしれないなあ。
今度は乾いた季節に行こう。








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